ルペルト神父への手紙

以下はファイヤアーベントがルペルト神父宛てに書いた、現代のカトリック教会と科学に関しての書簡。


ルペルト神父殿

 先日の木曜日のあなたのお話は、興味深く聞かせていただきました。私は二つの点で驚かされました。その一つは、<教会>が現在、科学の諸成果の面前で退却しつつある、そのスピードです。この現象は科学の内部には存在しません(ここにさえ多くの日和見主義は存在しますが)。ある科学的観点が誤りであることが示されながら、その擁護者はあきらめず、何十年も、あるいは何世紀さえも、それを追求しつづけるということは、頻繁に起こります。しかも、しばしば彼らが正しいことが明らかになりもするのです。原子論はその一例です。それは頻繁に「反駁」されましたが、いつも復帰し、それを打倒した者たちを打倒しました。十九世紀の末、大陸の物理学者たちはそれを形而上学的な怪物と見なしていました。その理論は事実と衝突し、内的にも首尾一貫していなかったのです。それでもなお、擁護者たち(その中にはボルツマンとアインシュタインが含まれます)はあくまで固執し、最終的にそれを勝利に導きました。さて、反駁された見解を手放さずに擁護することが科学の内部で合法的であり、そのようなやり方が科学的進歩に導くこともあるのであれば、なぜ<教会>は同じことを外部から行うのを躊躇するのでしょうか。というのも、状況は実によく似ているからです。



 ここで簡単に説明しておく。ファイヤアーベントは特定の科学理論を念頭に置いて語っているのかはわからないが、例えば進化論を例に考えるとわかりやすい。
 科学者でさえ、「反駁された見解を手放さずに擁護する」のに、教会は“科学的”でない、ということから何故簡単に自分たちの信仰を放棄してしまうのか、ということ。
 世界のはじまり、動植物の創造、人の創造、また人の死について、聖書が明確に語ることを“科学的でない”・”進化理論にあわない”ということから、なぜ教会は簡単に放棄してしまうのか、ということです。


<教会>の教義に対する科学の最初の攻撃の一つは、宇宙の始まりに反対するアリストテレスの論証に基礎をおいていました。これらの論証は、現代宇宙論の論証と多くの共通点を持っていました。つまり、それは高度に確証された既知の自然法則と、そこからの推理とに基づいていたのです。アリストテレスのずっと後まで、私たちが知っている物質世界の永続性は、科学の基本的事実と見なされていました。そして、その後で、科学は変わりました。今日では、時間的な始まりを仮定し、世界の最初の数分の間の複雑な「天地創造」を導く、無数の世界モデルが存在します。ですから、科学の実践を指摘しても、<教会>の恐怖心の、とは言いませんが、抑制の弁解にはならないのです。この抑制は純然たるイデオロギーに基づいています。この点は第二の論点を導きます。

 問題となるのは特定の物理学や宇宙論というより、むしろ人間と神との関係である、とあなたはおっしゃいました。この関係は愛と多くの共通性を持つ、ともおっしゃいました。さて、田舎の愛は都会の愛とは異なりますし、また愛がほとんど不可能な状況も存在します。例えば、「客観性」を主張し続ける人々、つまり科学の精神に完全にしたがって生きている人々にとって、愛は不可能になります。科学は客観性を奨励し、要求さえします。そうすることで科学は、きわめて知的な愛し方以外の私たちの愛する能力を弱めてしまうのです。このことは、愛を広めようと望む人にとっても科学が無視できないことを意味します。彼(女)は科学を取り上げ、その特有の傾向と闘わねばならないのです。


 学生のころ、私は科学をあがめ、宗教をあざけり、しかもそうすることをたいへん立派なことと感じていました。いま事柄をいっそう間近に見て、私や私の友人たちがかつて用いた浅薄な論証を、いかに多くの<教会>の高僧たちが真剣に受け止めているか、またそれに応じて自分の信仰を弱めようとする何たる覚悟をしているかを知り、私は驚いています。この点、この方々は科学自体を一つの<教会>、まだ人々が絶対確実な結論を信じていた頃の、原始的な哲学を持つ初期の<教会>にすぎませんが、そのような<教会>を形成するもののごとく扱っています。しかし、科学の歴史を一瞥してみれば、まったく別の光景が見られるのです。

 ご多幸をお祈り致します。

                    パウル・ファイヤアーベント

(『理性よさらば』p.317ff)



理性よ、さらば (叢書・ウニベルシタス)

理性よ、さらば (叢書・ウニベルシタス)