キリスト者の世界観

「神のこと、人間の救いのことについて正統的理解を持っていても、会社のことや子供の教育のこと、男性と女性の地位と役割、性倫理や生命倫理、科学や技術、学問や芸術、などの事がらについては無神論的(実は異教的)学校教育やテレビ・ジャーナリズムなどから知らず知らず教えられた物の見方で判断する『文化融合』*1を起こしています。」


「『地上的事物』*2と呼んで大切にしたこれら被造世界の事がらを考える時にも、私たちは神中心に有神論の見方を貫かなければならない筈です。エンカルチュレーション*3を起こしている場合、私たちは知らず知らず二元論に陥っている、知らず知らず、神の主権の及ばない領域を認めてしまっているのです。理念においては有神論者で、『生き方』においてはモダニストかポスト・モダニストになっています。もし、事態がそのようになれば、教会外の人が教会員を見た場合、『生き方』においてこの世の人と何の相違もなく、何の証しにもならないわけです。」


「これには近代神学にも責任の一端があります。近代神学は近代哲学の『自然と自由の二元論』の影響を受けて、地上的事象や宇宙的事物の知識を人間の自立的知性や近代科学にまかせてしまい、自らは人間の魂の救いの事がらだけに閉じこもり、カルヴァンのいう『天上的事柄』だけに領域を自己限定してしまいました。神学は救済論となり、創造論を忘れてしまった」


「全領域における神の主権を承認して、有神論が『地上的事象』や『宇宙的事物』を見る視点にまで、さらに『生き方』にまで貫徹されなければならないのです。有神論が文化の形態となって日常生活に定着しなければなりません。」


『恩恵の光と自然の光』(春名純人;聖恵授産所出版部 、2003、p14,15)

(*1「文化融合」...世俗化のさらに進んだ段階)
(*2「地上的事物」...「会社のこと/教育/男性と・・」)
(*3「エンカルチュレーション」...文化融合のこと)